「くすりや」の「現場」

薬屋が見た、聞いた、考えた、さまざまなことを書いていくブログ。「ブログに書いてある情報は一般的なものです。ご自身に合ったものにするにも、受診している医療機関のスタッフ、かかりつけの薬局の薬剤師に相談しましょう。」正論でぶっ叩かない医療者に!

なぜ論文を読むのか

 

 最近、そこかしこで「論文を読みましょう」と言われる。

論文が読めるようになったら薬剤師として一歩前に進める、とか

論文ぐらい読めないと薬剤師としてやっていけない、という意見をSNSで見る。

 

 その物言いは違うんじゃないか?

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 論文を読むのは良いことだが、同業種同士で上か下か比較している言動をする(ましてやSNSという何も知らない他人も見るであろう場所に)のもよろしくないが、そういう言動が元で、論文を読む仲間を減らしてしまうのではないかと思う。自分の考えが正しいのであれば、論文を読む意味や楽しさ、それがどう役立つのかを他人に伝わる言葉で説明したほうが得策だ。論文の数は非常に多いのだから。

 仲間が増える。

 →わざわざ自分が読まなくても良い論文が増える。

 (他人が解説したものを読めばいいので:もちろん、時間があったり興味が深けれ ば原著論文を読めばいい)

 

 論文を読むのは、それぞれの治療目標に到達するための、より妥当な方法を見つけ出すための手段だと考える。

 

 治療の中には「患者の背景や価値観に左右されない治療目標」と「患者の価値観が左右される治療目標」が存在する。例えば、風邪の治療だと「症状が治まる」というのが目標だが、糖尿病だと患者の状況によって「合併症を出さない」「完全にコントロールする」と目標が変わってくる。(高齢の方だと、薬を飲むことのリスクが上回る可能性が高くなるので、それも考慮しないといけない。治療のために入院したり安静にすることもその後の生活レベルを大きく左右する。寿命も考慮する。)

 

 患者の背景や価値観を聞いた上で、治療方法を見つけ出す。その治療方法が本当に妥当なのか検討する。そのために、最も信頼性のある根拠を挙げるのが妥当であろう。今までの自身の経験が頼りと考える医療者もいるが、最新の治療も入ってくるし、その医療者にとって初めての治療かもしれない。そして、もし裁判になった場合に経験則だった場合に勝てるだろうか。第三者が判定する場合に妥当な治療であったと認定できたほうが医療者は自身の身を守れる。

 

 患者との感情的な信頼関係と根拠ある知識、双方大事だ。車の両輪と言っていい。

 

補足

論文を読んで解説するブログが続々出てきました。これらのポータルがあればもっと探しやすくなりますね。

 

 

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