「くすりや」の「現場」

薬屋が見た、聞いた、考えた、さまざまなことを書いていくブログ。「ブログに書いてある情報は一般的なものです。ご自身に合ったものにするにも、受診している医療機関のスタッフ、かかりつけの薬局の薬剤師に相談しましょう。」

副作用の情報を提供するのは非常に難しい

www.sankei.com

 

 患者側は副作用の情報を提供してほしいという声が多い(53%)一方、実際に提供されたのは31%と少数とのこと。インターネットによる男女2000名アンケートによる(日本製薬工業協会)

 

 「副作用を説明したら患者さんが薬を飲まなくなるからやめて」と医師にクレームを受けたことのある薬剤師は結構多いと思う。(実際これが元で薬剤師が移動になったり首になったり薬局が取り潰されるケースも無きにしもあらず)

 

 まず、医師が処方する際に患者の様子(本人が意識していないところまで含む)を見て、治療方針を決める。この場合、「治療した場合の利益が不利益を上回るかどうか」を検討している。医師が利益が上回ると判断した上で処方されている(これが診断で、医師にしかそれはできない)ので、それを中止すると患者にとって不利益なことが起こる可能性が高い。

 

 患者から見れば自分の意思が入っていないように思えるのかもしれない。自分の身に起こる不利益はなるべく、いや絶対避けたい。ゆえに、怖いことがあるのならばそれを回避したいと思うのは自然だ。

 

 この医療者が相対的リスクで考えているのに対し、患者が絶対的リスクで考えていることでズレが生じていることが、医療不信につながっているのかもしれない。

 

 もし、副作用が起こるから飲まないということであれば、飲まないで起こりうることを説明し、「最悪の状況を避けるためによりマシなつらいことを選んでいる」という認識にできればいいのかもしれない。

 

 しかし、感覚的なよくない作用はそのよくないことを説明すると起こりやすくなるのだそうな。それがノセボ効果だ。それもあって、良くない作用、特に「痛み」「かゆみ」といった数値で表せないものについては説明しない場合がある。安全に治療をすすめるため。

 

 だが、敢えて説明しないのは果たして倫理的に正しいのだろうか。それで訴えられたりはしないのだろうか。非常に難しい問題である。どの正しさを選べば落ち着くべきところに落ち着くのか。

 

 そのためには、医療者と患者がゆっくり対話する必要がある。どこまでの治療に耐えられるのか。感情優先なのか論理を理解できるのか、その割合。どんな価値観を持つのか。そのような要素を多く必要とする患者の状態と、そうでないものを分ける必要もある。

 

 価値観に基づいた治療と、命を守る治療。そんなものはどうでもいいから早くしろというのも価値観による治療だ。医療者も患者も、自分の価値観を持って、必要なときにはそれを表明するのが治療に必要な時代になってきた。たとえ、自分で意思を表明する習慣がなかった場合でも。

 場面によって、命を守らなければならない場合は患者の価値観は後回しになることもあるが。それを判断するのは人だ。

 

 そう考えると、医療は人でしかできない部分がまだまだ大きい。

 

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