先日、第48回衆議院議員選挙が行われた。各地で安倍晋三内閣総理大臣(以下、安倍首相と呼びます)の演説に対し聴衆が様々な反応をしたことがメディアやネットの記事でも取り上げられました。
今回は、政治の話ではありません。多くある情報を人はどのようにして捉え、何をどのように信じるのかについて記します。
メディアの記事
リテラ
安倍首相の秋葉原街頭演説が極右集会そのもの! 「こんな人たち」を排除し、日の丸はためくなか「安倍総理がんばれ」コール
http://lite-ra.com/2017/10/post-3530.html
産経
安倍晋三首相@秋葉原「リベンジ演説」大きな混乱なくも「9条守れ!」聴衆が抗議「うるさいよ」
http://www.sankei.com/politics/news/171021/plt1710210113-n1.html
一般の方から
現場の様子(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=5H2xLE8fL98
それ以外にも多数の方からのSNS投稿がある。
しかし、それらの情報があっても確証を得られない気がしたので、私は安倍首相が演説に来るというヨドバシカメラマルチメディア梅田の会場に向かいました。
会場は大阪駅前で、多くの通勤・買い物客が多く通る場所です。多分、メディアの方も来るだろうから彼らがどのように仕事をするのかもこの目で見ようと思ったのです。
実際、会場では「お前が国難」というプラカードの集団も自民党を支持する方もそれ以外の人もいました。最も多いのは一番最後の「それ以外の人」です。
メディア、一般の人。それぞれがそれぞれの感性で写真を撮っていました。それらが上がった記事やSNS投稿、動画配信を見ました。
自分がその目で見た現場ではわからなかったことも多く上がっていました。自分の見えない範囲で起こっていたことも多かったです。安倍首相を支持する人と支持しない人の口論も起こっていました。
そこで気づいたことは
- メディアも含め、それぞれが自分の感性で撮影している
- 一人ひとりが見られるものの範囲は限られている
- それらの写真や記事を多く集めると客観性が高くなる
- それでも自分の見た物の価値が高くなりがちである
です。
3.について解説すると、
その場にいた個人が撮った写真をまとめたものが客観性が高く思えるのは、撮影した人同士に直接及びSNS上での面識がないであろうと判断できたことがあります。Twitterでは、他のユーザーのフォロワー、日頃の発言を見ることが出来る設定があります。Twitterの記事をまとめているも複数いました。これまた投稿者とは関係がなさそうな人でした。
これを医療に当てはめるとどうなるでしょうか?
多くの人が独立して集めたデータをまとめたもの(システマティックレビューのような状況)では自分が得たい情報を得られていない気がする。
実際の患者に使う場合に薬効以外に欲しい情報(個々の患者さんに応じたもの、より生身の情報)を得たいので実際の患者さんに新薬(もしくは自分が使ったことがない薬)を使いたい。
もしかしたら、今より良い治療法になるかもしれない。
治療法の幅が広がれば、よくなる患者さんも増える。
データも信用しているが、それでは十分ではない自分が知りたい、個別の細かい情報を得たいので実際に治療法を試す
しかし、情報を得る労力がかかっている分、どうしても自分で得た情報に重きをおいてしまう。
→これはメディアの人が会社の方針に従った報道をするのと近いです。(編集バイアスに近い位置と思われます)メディアの人も出世したい、待遇を良くしたいでしょうし。日本のメディアよりも、医学論文における編集バイアスの方がかなりマシだと思います。
(いや、比較してはいけない程度かもしれません)
こういった気持ちが絡んで、新薬は使われていくのではないでしょうか。ここには悪意はありません。治療の幅を広げることで、助かる患者が増えるのではないかという願いと向上心からくるものと思われます。
効果を見て終わったら、元の薬に戻せばいいのですが、そこはどうすればいいのでしょう。なにせ、変更した理由を説明しづらい(新しい薬が出たので効果を確認したかった)ですから。
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