なんだか恋愛の歌のようなタイトルですが、医療の話です。
根拠のない医療に走ってしまう患者さんの心理の話です。
安全の裏打ちのある安心よりも、強い共感、安心感を求めてしまうのではないかと思います。特に、病気などで不安に押し潰れそうになったときは心に強い印象を与える安心感を求めてしまうのでしょう。
しかし、根拠があるかどうかは患者にはわかりません。これが専門家と非専門家の間の情報の非対称性です。とりわけ、医療はその差が大きいように思います。大抵は正しいことを言っているのですが、時に意図的に間違ったことを言って騙そうとする人や、勉強不足で間違ったことを言っている人がいるのが問題です。
そこで、患者はその医療者が正しいことを言っているかどうか人柄を診て判断しようとします。自分に共感してくれる、自分の辛さを理解してくれる。そういうことで判断します。(公の情報を調べる方法にたどり着くのも正解ですが、残念ながらそこに辿り着く人は多くはありません)
ここで医療者ができることは「根拠のある情報を優しい言葉で伝えること」。嘘はつかないことは大前提です。そして、知識をアップデートすることも大前提です。
根拠のある安全は非常に地味です。その上、人間の身に起こることですので不確実性もあります。ゆえに、根拠のある安全を語る医療者は歯切れが悪いことが多いです。患者そして医療という科学に誠実であろうとするから自信がなさそうな言葉遣いになります。
対し、根拠のない安心感は言葉が強いです。まずは共感を集めないと支持されないからです。共感を得るための表現方法を必死に勉強します。
共感を得て、患者と精神的な結びつきを作って、「治療できなかったけれど、気持ちを満たしてくれたからそれで幸せ」と思わせるのです。訴えられないようにするために。
これは医療に限らないことに思えます。
甘い言葉や民衆に受ける言葉を使って信じ込ませて、自らの野望を果たそうとする人は政治家にも、そういう甘い言葉を言わず、一見自分の言葉を言わないように見える人のほうが実際は誠実だったりします。
最近は顕著ですが、「専門家、頭のいい人は知識が非対称なのをいいことに騙してくる」ということを吹聴する人がいます。
実際の良い専門家はそのようなことをしません。自分の専門に誠実でないということが最も許せないことであり、やってはいけないことと教育されているからです。
政治家もそうです。どこに専門家がいるかわからない世の中、騙しきれることのほうが少ないです。自分を信用してほしい、という理由で自分の給与を下げたり、行政職の待遇を下げるのは信用してはいけないのです。政治家は皆が幸せになることは難しくてもなるべく極端に不幸な人を出さないことがその役割です。誠実な人は、誰かを下げたりはしません。
共感することは大事です。しかし、共感をあまりに前面にするのは疑ってかかったほうがいいでしょう。医療者のコミュニケーション「技術」は、患者を安全な医療に導くための技術です。共感ではなく、共感的態度です。
医療に関するデマは人を殺します。
気持ちが満たされたまま(本人は気づかない、薄々気づいているけど戻れない、家族が後で気づいて悲嘆に苦しむ、それでも戻れない)死ねる幸せを選ぶか
満たされた!という強い感情はないけれど、穏やかな確固たる安全の上で生きていくのか。
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