「くすりや」の「現場」

薬屋が見た、聞いた、考えた、さまざまなことを書いていくブログ。「ブログに書いてある情報は一般的なものです。ご自身に合ったものにするにも、受診している医療機関のスタッフ、かかりつけの薬局の薬剤師に相談しましょう。」正論でぶっ叩かない医療者に!

薬剤師フィールドリサーチ新春スペシャル「奇跡の薬剤師」世界最高齢の現役薬剤師・比留間榮子さんの背中に学ぶ

 今回は「やくざいし

 

薬局の薬剤師として保健・衛生に寄与するだけでなく、地域住民の宿り木という
役割を75年にも渡って果たし続けているヒルマ薬局小豆沢店(東京都板橋区)の

比留間榮子さん、御年97歳。東京の下町で終戦直後の時代から変わりゆく街の姿と、

変わらない人々の健康を望み続ける気持ちとは--

このほど「時間はくすり」(サンマーク出版 1300円+税)

www.sunmark.co.jp

を発刊されたことを機に、一緒に薬局で働くお孫さんの比留間康二郎さんを通じてお話を伺いました。
                  ◇
 榮子先生は75年間薬剤師を続けています。今から75年前といえば、太平洋戦争が

終わってから現在までの時間と同じ。そう、薬剤師3.0どころか1.0も始まっていない

ような時代で、人々は今日を生きて過ごしただけでも運が良かったと言えるような時代から、薬剤師をしてきたことになります。国民皆保険(1961年開始)など想像もつかない時代で、医療は国民に行き届いていませんでした。

 変化したのは医療だけではありません。ありとあらゆるものが変わり、明日が来るのが当たり前という世の中になりました。平均寿命は大きく伸びました。特に、幼い子供が亡くなることはかなり減り、我が身を責める母親も減りました。

 榮子先生は、これだけの長い期間、薬剤師として過ごしてきました。地域の人達、薬局のスタッフは榮子先生と呼んでいます。すべてが変わる世の中を生き抜いて、ずっとかわらず地域の人に慕われ続けてきました。変化に対応するには、自分自身を進化させることと、何があっても変わらない芯となるもの、その両方のバランスが大事です。

そして、100歳が見える年齢まで仕事ができるほどの強靭な心身。努力と素質が偶然に組み合わさった奇跡のような存在です。今後、榮子先生のように75年薬剤師でいられる人が出現しない可能性があります。
 

 榮子先生は75年のも間、薬局で働き続けています。薬局というものの形、あり方が変わっても街の人と接するスタイルは変えていません。街の人は榮子先生と慕います。人と接するのが心から大好き、このことは75年間ずっと変わりません。
 榮子先生は薬局に立ち寄る人々に寄り添い、支えとなっています。ご本人は「当たり前のこと」と認識していますが、薬剤師を、薬局をこれほどまで長く続けられることは、十分に偉大なことです。薬局を潰さずに継続すること、知識や技能をアップデートし続けること、何よりも健康でいること。これだけの要素が必要なのです。これらを認められて榮子先生は一昨年、ギネスブックに「世界最高齢の現役薬剤師」として認定されました。
 榮子先生はTwitterやLINEを使います。そして、きちんと変換された文章を発信しています。いずれも、90歳を過ぎてから始めました。オンラインイベントやツイキャスにも参加したことがあります。新しいものに果敢に挑戦(最初は躊躇することもあるが)。 

 電子薬歴は、「目が疲れるから」と自分で紙に書いた文章を入力してもらっていす。入力した文章の最終確認をし、確定の操作を榮子先生自身が担います。

 長く続く企業は、「守るべきもの」と「変えていくもの」の棲み分けをしっかりしている、と先日の医療薬学会でのシンポジウムで聞きました。榮子先生はその両者を的確に見極めています。

 大事な地域の人たちと接し、彼らのために絶えず勉強するということは変えずに、そのために役立つことなら何でも挑戦します。

 榮子先生は時代の最先端をエネルギッシュに駆け抜けるというより、時代の変化を受け入れしなやかに進んでいった印象を受けました。淡々と自然にやってきたことの積み重ねです。一般の薬剤師でも真似できそうなキャリアの積み上げ方であっても、長く続ければ大きな偉業になることを示している。「自分でも真似できそう」と多くの薬剤師に希望を与えていると思われます。特に、榮子先生が女性で子育てもしているということから、自身や家庭の事情で働き方に制約のある薬剤師にとってのロールモデルになり得る存在です。
 

この調子で行けば、オンライン服薬指導も榮子先生は自然に習得しそうな勢いです。し
かし、実際にお会いして間合いや場の空気をともにするほうが確実に元気になれそうな雰囲気を持っています。あくまでオンラインはツールであって、人と人との関わり、心のあり方が大事ということ、と示しています。
 今後現れることがないかもしれない稀有な存在でありながら、日々の実践は我々でも真似できそうなことばかり。そういった気負いのない先駆者の存在は、私にとっても心強いです。