※完全にネタバレを含みます。(終映後の記事公開としました)
今回は筆者が15回以上は映画館に足を運んだという「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を医療の視点から考察していきます。
シンジくんに対する周りの態度がもたらしたもの
前作「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」でいろいろな人に裏切られ説明を受けず目の前でカヲルくんが爆死してメンタル崩壊して気力を完全に失ってしまった初号機パイロットの碇シンジくん。自分からは動くこともしゃべることもできません。
そんなシンジくんとアスカ、アヤナミレイ(仮称)は相田ケンスケに助けられ、第三村にたどり着きます。全くしゃべれないし自分から動くこともできないので食事も摂ることができません。食事を摂れないことをヒカリの父・ブンザエモンに咎められても何も反応できません。その様子を見たケンスケは、トウジとヒカリの家ではなく自分の家にシンジを連れ帰ります。
トウジとヒカリの家では、いろいろな人がシンジくんに干渉するでしょう。それではシンジくんの心が休まらない。「心配のし過ぎは互いに良くない」とケンスケがトウジに言った言葉が象徴的ですね。ほんの僅かな配慮であっても、シンジくんには負担になる状態です。
ケンスケの家には先客としてアスカがいました。真っ裸のアスカに目を見開くも何も反応できないシンジくん。挙句の果てにDSSチョーカーに反応して嘔吐してしまう。アスカの立場だったらある意味でプライドズタズタです。
人に関心を持っても、反応することができない状態だとケンスケは把握したと思われ、アスカをフォローしたと推測されます。(多分、アスカも口が悪いですが、シンジくんの心の状態を把握し、「反応したくてもできない状態だ」と内心では思っているでしょう。口では「どうせ生きたくもない死にたくもないだけ」と言っていますが)
とはいえ、エヴァの呪縛にまだ十分かかっていないシンジくんは何かしらの栄養が必要です。「優しく食べさせる」ではなく「無理やり食わす」なのがアスカらしいです。アヤナミレイ(仮称)のようにそっとそばに置いて自分は立ち去るのとは大違いです。
アスカの場合、他の人と違ってシンジくんによって与えられたダメージの度合いが大きく違います。使徒に取り込まれるわ左目に封印柱を入れる羽目になるわ散々です。どうしても自分の怒りが抑制しきれないのでしょう。(それはサクラとミドリも同じです。)もともとの性格上、アスカはシンジくんに表立って優しくできないようです。(もしかしたら、これもネルフに寄って調整された性格かもしれません)
しかし、アスカは優しいです。DSSチョーカーがシンジくんに見えないようにバンダナをしています。
アスカの本心と優しさの混じった言動で、シンジくんは怒りという感情を取り戻し、家出をします。誰にも接触しない環境です。
アスカに場所を教えられたアヤナミレイ(仮称)はシンジくんにとっては適度な距離感で接します。定期的に会いに行くも、特に大した会話もなく(おそらくシンジくんからの発話はなかったと思われます)、ただレイの単語のみの発言だったのではないでしょうか。その小さな積み重ねで、ゆっくりとシンジくんは回復していったと思われます。
ある日、アヤナミレイ(仮称)は、シンジくんに
「碇くんもここで何もしてない。碇くんはここを守る人なの?」と聞きます。なんの木はない発言と推測されます。これが、シンジくんの感情を引き出すトリガーとなります。おそらくはこの環状トロの発言が、第三村に来て初めての発話だったのではないでしょうか。
この会話の後、シンジくんはアヤナミレイ(仮称)に自分の気持ちをスッキリと吐き出してケンスケの家に戻ってきます。通常通りの意地悪な言い方の(実は優しさから尋ねているつもりですが、アスカはシンジくんに対しては特に素直な表現ができません)アスカに「スッキリした?」と言われて「うん」と言えるだけシンジくんの心は回復しています。
その後、シンジくんの心身の回復の程度に合わせていろいろな仕事を行っていきます。第三村にも顔を出せているようですので、住民たちはニアサーを起こした人が誰かしらない可能性が高いです。寄せ集めの住民全員が同じ方向を向くのは無理でしょうから。アスカが第三村に顔を出せないのは(シンジくんが初号機からサルベージされていない)空白の14年間に色々あったからと推測されます。
特に接し方がうまかったのはアヤナミレイ(仮称)とケンスケです。綾波はああいう設定なので人と接する言葉が少ないから押し付けがましいことができないと思われます。ケンスケは14再当時から少し距離をおいてものを見ることができる冷静なところのある性格でした。モグリの医師であるトウジが「シンジを一人にするのはやばいのではないか?」とケンスケに話すと、「心配のし過ぎは互いに良くない」と返すほどです。本物の医師であれば、距離を置くことの大切さを学んでいると思いますが、モグリなので仕方ありません。
トウジはシンジくんが再度エヴァに乗ることには否定的ですが、ケンスケは「乗りたくなくても、乗らなければならない。乗らないと自分たちは助からない」ことを悟っていました。
AAAヴンダークルーも。シンジくんのことを責めてはいませんでした。シンジくんが初号機に乗る必要が出てくる、しかし、彼一人に責任を負わせないように自分たちでできることはしようという気持ちがありました。
アヤナミレイ(仮称)は無調整故に個体を保てず、シンジくんの前でLCL化します。以前のシンジくんでしたら立ち直れないところでしたが、まぶたが赤くなるほどに泣いたあとは、AAAヴンダーに乗り込みます。イマジナリーの中ではなく、リアリティの中で立ち直っていたのです。
父親とのこと、自分のことにけりをつけるために。
AAAヴンダーに戻ったあとは、DSSチョーカーをつけられることなく、保護室に監禁されることになりました。チョーカーをつけない=エヴァに乗らないでいい、という配慮という意味合いもありそうです。ネルフに連れて行かれてもチョーカーがないのでエヴァを操作できないという意味合いもあります。
マイナス宇宙でのゲンドウとの戦いで、冷静になったきっかけは、第三村が破壊されたイメージからでした。自分を立ち直らせた人々を傷つけられたことから、ただ力任せに戦うことをやめ、父親と対話することを選びます。ゲンドウは対話をすると言うより、自分の願いを話すだけだったのですが、最後に息子に向き合います。
といいますが、AAAヴンダーに戻ることを選んだ時点でゲンドウの負けは決定的で、人類補完計画はなし得ないことは決まっている気がしますが・・・。
トウジの言葉
劇中で、モグリの医師として登場する鈴原トウジ。彼の発言を紹介します。
「助けられんかった命もある。その時の怒りや悲しみの感情を引き受けるのも医者の仕事や。自分のしたことにはけじめを付けたい、そう思って医者の仕事をしている」
この作品、終始一貫としてケリをつける、落とし前をつける」といった決着をつけることがテーマになっています。出てくる登場人物がとにかくそういうセリフを言います。14年かかった新劇場版だけでなく26年間続いたシリーズ全体の最終話だからそうなんですが。
アヤナミレイ(仮称)に対する第三村の人々の言動
「記憶を失っている」という触れ込みで第三村の農作業に参加するアヤナミレイ(仮称)。周りの人は「何も知らない」レイに「なんでこんな事も知らないの」という態度ではなく「記憶を失ってるんだから知らないのも仕方ないねえ。教えよう」という態度で接します。実際は記憶を失っているのではなく、知識を与えられていないのですが。
アヤナミレイ(仮称)の「命令がないならやらない」という設定も村の人の反感を買わずに済んだのでしょう。何も知らないからと言って好奇心そのままに行動してしまうタイプだと村の人もへとへとになってしまいます。
「知らないものという前提で接する」のは新人や患者さんへの指導で心をやられずに済む方法ですね。
新劇全体の傾向
新劇場版全体に言えるのですが、「〇〇してくれてありがとう」と、勘定に対する根拠となる言動を明確に示すセリフが多いことです。アニメ版や旧劇場版ではそのあたりの描写が一切なく、そういう接し方をしていないため、シンジくんが自分の中にこもっていく原因になったと考えられます。
新劇場版の大人たちは、「ありがとう」といった声掛けを多くします。それがシンジくんを立ち直らせたのでしょう。第三村の人やヴィレの人々の言動はシンジくんに接する親がいなくても立ち直った拠り所でもあります。