「くすりや」の「現場」

薬屋が見た、聞いた、考えた、さまざまなことを書いていくブログ。「ブログに書いてある情報は一般的なものです。ご自身に合ったものにするにも、受診している医療機関のスタッフ、かかりつけの薬局の薬剤師に相談しましょう。」正論でぶっ叩かない医療者に!

【ここを押さえると効果的かもしれない薬物治療】保湿剤の使用について

保湿剤を毎日塗るのは面倒くさいですよねー

 

 私、秋口の一時期になると脛からふくらはぎ、足首にかけて痒くなります。掻いてしまって傷ができるほどです。対策として年中お風呂上りに保湿剤を塗っているのですが、お風呂上りに塗るのも忘れそうになります。実際に忘れます。

 これ、一人で複数の子供をお風呂に入れている親御さんにとっては無理ゲーですよね。子供一人でも抵抗されて大変だし、一緒に入浴していれば自分の着替えもあるし。

 

 では、実際にどれぐらいの頻度で塗るのが一気に効果的になるのか考察しましょう。

 

 論文1によると

「ヒルドイドソフト軟膏(水中油型乳剤)では、1日1回よりも1日2回のほうがより効果的であると示唆。1日1回塗布の場合、量を増やしても(3mg/平方cm)1日2回1回2mg/平方センチよりも効果が落ちることが示唆された。

 大規模な試験をしているわけでもありませんし、健康成人8名に対し人工乾燥皮膚モデルを作ってできたデータなのでエビデンスとしてはもう少しと言ったものですが、今までこのような研究がなかったので参考にはなります。

 

「1日2回なんて朝忙しいのに!」とおっしゃる方もたくさんいます。

そこで、別の論文(論文2)の結果を出します。

 16名の健康な女性の前腕部皮膚にて調べたもの。

 水中油型乳剤を1日2回7日間塗布し、中止後2日間は効果が増大し、7日間の肌の状態は維持される(保湿剤が表皮に吸収されているため)

 

 忙しい方には、1日2回塗布をとりあえず7日続けてもらって、肌をいい状態にすると効果があると説明するといいのかもしれません。

 無理のない範囲で効果が出るところを押さえると、格段にアドヒアランスが高くなるのではないかと考えた次第です。

乳剤は水中油型しか存在しませんので、乳液状の保湿剤でOKということになります。

 いずれも、エビデンスの質としては高くはないです。しかし、塗るのが面倒な方には希望になるかもしれない論文です。(大規模試験するには費用が大きすぎるし回収できるほど儲かる薬ではないだけに・・・)

 

 

 

 

参考論文

1
保湿剤の効果に及ぼす塗布量および塗布回数の検討
 http://doi.org/10.14924/dermatol.122.39

2

Effects of repeated application of a moisturizer. - PubMed - NCBI PMID: 2572123

 

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EBMに対する誤解を解こう

 先日参加した講演会の内容をまとめました。

 第6回 兵庫医療大学薬学部生涯研修セミナー

 「ポリファーマシーをめぐる問題と薬剤師の関わり」

 講師 青島 周一 先生(医療法人 徳仁会 中野病院薬局)

 

 青字で書いているものは完全に私の私見です。

 

 「ポリファーマシーの明確な定義はない」

 ただし、処方される薬が5剤を超えると有害事象の発生が増える傾向にあるので、ざっくり5剤という捉えられている印象。

 

「ポリファーマシー=悪ではない」

 処方されている薬が多くても、それぞれの薬が適切に(もしくは効果が危険性を上回って)処方されていれば多剤処方であって問題はない。

 そもそも、悪意で行われているポリファーマシーは存在しない。

  ・医師の患者に良くなってほしいという気持ち

  ・患者の医療を受けていれば安心という願い

  ・処方カスケード

  ・加齢により疾患が増える

  ・潜在的不適切処方

 

 メディアや一部医療者の中にも「ポリファーマシー=悪」と捉えている人や、経済的な意味で無駄と思っている人がいるよなあ。目先のお金で量るものか? 

 

「医療は人を幸せにしているか?」

 個別の事案はともかく、21世紀に入って平均寿命は大きく伸びていない

 その上、20世紀初めから75歳時点での平均余命はほとんど伸びていない

(伸びたのは乳幼児~成人期(中高年に入るまで)の寿命)

 もはや、医療の生命を延ばすという意味で役割は限界かもしれない。

 

 現在、正しい医療とされることがらは人を幸せにしているか?

 その労力の割に効果があるといえるか?

 実際に、高齢者においていろいろな生活習慣病で厳密なコントロールと生命予後の

関連を検討する研究がなされているが、厳密なコントロールが余命にプラスになっていない結果も出ている。(生命予後が変わらないものや、かえって死亡率が上がっているものもある。/余命がもともと短いので、もともとの疾患以外の理由で死亡することも多い)

 

「ポリファーマシーへの介入ではなく、個別の薬物療法への関わり」

処方数に関係なく、患者にとって処方が適切になされているかどうか関わっていくのが薬剤師の仕事。

様々な潜在的不適切処方を解析するツールが出ている。

 例)Beersクライテリア

 解説

ビアーズ基準 - Wikipedia

www.ncbi.nlm.nih.gov

onlinelibrary.wiley.com

 

 STOPP/STARTクライテリア

STOPP/START criteria for potentially inappropriate prescribing in older people: version 2 | Age and Ageing | Oxford Academic

 

日本老年医学会「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン」

このリンク先には総論のみ記載

https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/info/topics/pdf/20150427_01_02.pdf

 

 神戸大学医学部附属病院で行われた多剤併用患者へのSTOPP/STARTクライテリアを用いた処方介入に対する患者さんへの説明文

http://www.hosp.kobe-u.ac.jp/yakuzai/Pharm/clinicalstudy/study_polypharmacy.pdf

 

 

 処方に介入し、処方数は減ったが、QOL向上には繋がらなかった

 

 処方が減ってQOLが低下していないということは、減らした薬は減らしても減らさなくてもどっちでもいい薬だったという判断につながるかもしれません。この場合は、薬を飲む飲まないの判断は医学的根拠以外の、患者の価値観を尊重する方向になるのが妥当と考えます。

 

↓高齢者の薬物療法において最も考慮されるべきこと↓

残された余命に対して十分なベネフィットがあるか?

 人生の最後5年ぐらいを多剤投与状態で生きる高齢者

 老化による機能低下を完全に避けることができない。

 高齢者の場合、検査値はよくなったけど死亡が増えるというのは、薬に害があったというよりも寿命が来たという考え方が自然。

 また、患者の状況によって考慮するリスクは変わってくる。

 

例えば認知症患者の場合

 認知症薬ドネペジルで余命が伸びたと言っても、それは健康寿命か?

 (周囲との関係によってはつらい時期が伸びるだけという可能性も)

 認知症に既になっている患者に「認知症になるリスク」は関係するか? 

 寝たきりの人に骨折リスクは関係するか?

など。 

患者さんやその周囲の人との関係など、効果というものを多角的に考慮する必要があります。医療側の視点以外で考えること、患者さんの価値を尊重することが大事になってきます。

 

この項目の感想としては、

余命を患者さんやその家族に切り出すのは難しい場合がないか?

 ある程度健康な時に余命の話をすると冷静に判断できると考えますが、客観的に捉えられない状況で切り出すと「私はもう死ぬのか」と愕然としたり、「一日でも長く生きてほしい、死ぬなんてこと言わないで!」とギャーギャー喚く親族が出て炎上しかねません。そういう親戚がいて、無駄に声が大きいと、ずっと世話してきた家族や本人も言いたいことが言えなくなるのではないかと考えます。

 ただ、この私の意見は杞憂とも思います。ある程度高齢(80歳以上)になっているなら、死ぬことを想像しているでしょうから。これが、若くして死に直面する事になった場合は受け入れ難いでしょうが、その場合は今回のエビデンスの対象ではありませんので別の問題となります。

 ただ、統計で出てきた余命というのも、あくまで平均なので、眼の前にいる人にそれが当てはまるとも限らない(もしかしから明日逝くかもしれないし、20年以上生きるかもしれない)のは頭に入れておいたほうが良いですね。

 

 

ここで本題。

EBMは誤解されている?

 確かに誤解されています。

 講演の中でも、

 押しつけになっているとか

 医師に対する攻撃ではないか とか

 薬剤師と医師が対立構造になっている

という意見が届いたとありました。

 そうなってしまうのは、医師へエビデンスを持っていく手法ではないかと考えます。

 医師が処方を考える時の材料として提供できる形に持っていったり、

 患者さんがいろいろな感情の揺れ動きの中で出てきた本音を叶える手段として報告に上げたり

 医師の薬物治療に対する説明の補足として用いたり(医師と患者の知識と思考のレベルは大きく違う。特に思考訓練の度合いは遥かに格差があります。診察の際は理解したつもりになっても、診察室を出た途端忘れてしまうこともよくあります。それを口語レベルで解説する役割としては、薬剤師は適しているのではないかと考えます。診察における立場と考慮すれば、看護師が適していると思いますが、医師の難解な言葉を咀嚼するという機能を持っている知能レベルを持っている可能性が高いのは現時点では薬剤師ではないでしょうか。医師の意図を阿吽の呼吸で把握して動ける看護師が最適任ですが、そういう方はまずは医師の横にいて診療補助をしてほしいのではないでしょうか。医師の意図を把握して動くという意味ではクラークに当たる人が多く出てくればそういった咀嚼説明に当たれる人が増えると思います。薬局の薬剤師も「医療機関の外にあり、医療機関の診察時間に関係なく独立して相談することができるという意味では優れています。余談ですが、敷地内、院内薬局ではそれは難しいのではないでしょうか。)

色々できると思います。

 

 これ以外にも、

 患者さんの気持ちが入っていなくて冷たい とか

 感覚を重視していない とか

 医療者自身の考えがない とか

 いろいろな誤解があります。

 

 実際は、過去の研究でわかった「どっちでもいい薬物効果のもの」に対してにこそEBMは適任なのではないでしょうか。患者さんが何を重視するかがわかれば、その重視する価値観を薬物治療が叶えることができるか根拠を持って判定することができます。

 信頼関係と知識。両方必要です。知識や技術があってこその信頼関係です。

 

「この薬剤師に聞いたら、わかりやすく説明してくれるし、言ってることに嘘がない。そして、自分のことを人として尊重してくれる。自分のことを思ってのことなので、もしその治療が自分に当てはまらなかったとしても受け入れよう。」

 

 言ってることに嘘がない、というのがエビデンスです。 

 でも、「」の後半部分がないとEBMにはなりません。

 むしろ、後半部分だけだと、とんでも医療になりかねません。

 患者さんと話をしている時の非言語表現を把握することが感覚で、

 そして、患者のことを尊重する、というのが医療者自身の考えではないでしょうか。

 

 やはり、EBMはエビデンスを用いた血の通った医療と考えます。

 

 

最後に余談。

早く会場に着きすぎたので、外でポケモンを取りに行こうとしたら、暑いでしょうから

中で待っててくださいと言われました。

 

ポーアイはコイルとビリリダマがたくさん取れるよ!

 

 

 

 

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遠路はるばる会う意義

 「SNSの時代なのになぜ遠路はるばる会いに行く必要があるの?」

 「患者は土日もないのに!」

 という意見もありますが・・・・(もちろんこういう人は少数)

 

 実際に、学会などで遠路はるばる会う意義があるのです。

1.既に交流がある人との出会い

2.新しい出会い

両方です。

 

 そもそも学会に行く人の多くは、新しい知見を得に行きたい人です。(中には所属組織内の付き合い・・・何もいいますまい)

 会社組織内では浮いています。お金のために働いている人(家族を養っているとどうしてもそういう意識になってしまうのは仕方ない)、日常の業務(と家事育児介護など)で心身疲弊し、前を向けなくなっている人に引きずられつつ働いています。

 同じ職業でありながら、共通する価値観を持っていないのは寂しいのですが、今はSNSのおかげで同じ価値観の人と出会いやすくなっています。同じ価値観を持つ仲間と会って、前向きオーラを貯めることができます。

 実際に会うことで、新たな考えが生まれることもあります。SNSなどのやり取りでは書けない内容もあります。実際に会って非言語の空気を共通し合うことで生まれるアイデアもあります。

 

2.もあります。ポスターセッションでは興味ある知見について話し合えます。学問や知見から知り合う関係です。

 

 学会で医療機関が閉まるのにも文句を言う人はそういう出会いがあることを知らないか、ご自身の生活に余裕が無いのではないでしょうか。余裕を持つことすら許されない社会もなあと思います。

 

 

 

 

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PGF2α誘導体製剤の紹介とまぶたへの色素沈着の機序

 今回の記事の始まりはTwitterで「プロスタグランジンF2α誘導体について調べる」といったことから始まっています。

 

 ★そもそもプロスタグランジンとは

 非常にざっくり説明すると

 体中のいろいろなところで、様々な作用を示す物質。

当たり前すぎますね。

 プロスタグランジンにはいろいろな種類があります。

 

プロスタグランジン - Wikipedia

ここは書くのが面倒なのでwikipediaの資料を参考ください。一般の方が読んでもそこそこわかるようにまとまっています。

 様々な作用があるのがプロスタグランジンE2ですが、今回、取り上げるのがプロスタグランジンF2αです。平滑筋の収縮を起こします。

 プロスタグランジンF2αそのものは既に陣痛促進剤として販売されています。誘導体(ある物質の主要な構造を変えずにいろいろな官能基を差し込んで利用しやすくしたもの)は緑内障・高眼圧症の治療に使われています。今回は、これらの物質がまぶたの色素沈着やまつげを伸ばしたり濃くするのはなぜかというところを説明します。

 

★どんな薬がある?

 ラタノプロスト 商品名キサラタン

 ビマトプロスト 商品名ルミガン、グラッシュビスタ

 トラボプロスト 商品名トラバタンズ

 タフルプロスト 商品名タプロス

 イソプロピル ウノプロストン 商品名レスキュラ

配合剤も発売されています。

 すべてチモロールとの配合剤で

   ラタノプロスト 商品名ザラカム

   トラボプロスト 商品名デュオトラバ

   タフルプロスト 商品名タプコム

緑色で書いている商品にはジェネリック医薬品があります。

 

 

ビマトプロストを除いてプロドラッグの形で販売されています。

点眼して、目の中の角膜にあるアミダーゼにより分解されて活性を示します。

そのままだとしみて仕方がなく、使用に耐えられないからです。

 

 眼内でFP受容体(プロスタノイド受容体の一つ)に作用して、そこから効果を示すとされるが、それだけではなくFP受容体からの働きかけで体内でプロスタグランジンが産生されEP3受容体(プロスタグランジンEP受容体EP3サブタイプ:プロスタグランジンE2がはたらきかける)に働きかけることで眼圧が下がる効果があるとも考えられています。

 →プロスタグランジンE2にも眼圧降下作用があるのではないかという説があります。既に、動物実験では眼圧降下作用があるとされるものもあります。

★なぜまぶたで色素沈着する?

2.の論文によると、以下のように推定されます。また、この副作用はす べての プロスタグランジン誘導体製剤に共通する副作用と考えられます。

 

 ラタノプロストおよびイソプロピル ウノプロストンではプロスタグランジンE2の分泌が促進され、

それが皮膚のメラノサイトに働きかけてメラニンが産生されるとされています。

 また、ラタノプロストでは、プロスタグランジントランスポーターにおけるプロスタグランジンの 細胞取り込みを抑制

→プロスタグランジン が持続的にメラノサイトやまつげの毛根細胞を活性化

→まぶたの色素沈着や多毛を引 き起こす

前述の、FP受容体へ作用からプロスタグランジンが産生されることで、皮膚への色素沈着が起こることを考えると、FP受容体に働きかける度合いの低いイソプロピル ウノプロストンでの色素沈着の副作用報告が少ないのは合点がいきます。

(各薬剤の承認時及び使用後調査における副作用報告において、イソプロピル ウノプロストンが桁違いに報告数が少なかった)

 

 今回調べたことから、プロスタグランジン誘導体製剤を点眼する場合は点眼後、顔を洗えることが望ましい(吹いても効果的だが、皮膚に薬剤がある限り作用し続けるという記述があるので、流してしまう方が安全と考えました)ので、点眼後の刺激や充血も考慮すると

 入浴前(できれば寝る前の入浴)の点眼がベストで、

 洗顔前が続きます。

 

 なお、プロスタグランジン誘導体製剤の副作用でまつげが太くなったり成長が早くなるのを利用してまつげに特化させたグラッシュビスタという薬があります。使用する場合はまつげの根元に付けないようにしましょう。(まぶたへの色素沈着があります)もともと、美容目的ではなく、抗がん剤の使用などでまつげが少なくなった人のためのものがもとになっています。

 

参考にしたページ

2010年3月3日(水) 第320回 関西眼疾患研究会特別講演

1.「PG受容体を介した眼圧制御機構の謎!」

相原 一先生(東京大学大学院医学系研究科外科学専攻感覚運動機能医学講座眼科学)

https://view.officeapps.live.com/op/view.aspx?src=http://www.ophth.kpu-m.ac.jp/wp-content/uploads/2010/05/title20100303.doc

2.日医大医会誌 2012; 8(2) ―綜 説― 緑内障治療薬としてのプロスタグランジン F2α 誘導体製剤 (プロストン系およびプロスト系)の特性について

https://www.jstage.jst.go.jp/article/manms/8/2/8_134/_pdf

各薬剤の添付文書とインタビューフォーム

EP2アゴニスト製剤に関するライセンスおよび共同開発契約締結について(宇部興産)

http://www.ube-ind.co.jp/japanese/news/2011/2011_20.htm

学位論文要旨 東京大学 

http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/cgi-bin/gazo.cgi?no=124898

論文

http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/data/h20/124898/124898a.pdf

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自己犠牲の上に成り立つ医療は、もう終わりにしなければならないけど、他人の自己犠牲を「美しい!」とうっとり望む人もいる。

 

www.huffingtonpost.jp

 医師、特に勤務医の長時間労働について問題になっています。

当直明けの医師が手術をするなど、患者が生命の危険にさらされる恐れがあります。

その場の患者さんは、自分の健康が守られて「嬉しい」で済むのですが、もし、自分が睡眠不足の医師による手術をうけることになったらどう思うでしょうか。 

 医療の機能として捉えると、「ああ、手術ができてよかった」で済むのですが、「その先に人がいる、家族がいる」となったら複雑な心境になるのではないでしょうか。医師が長時間働けている背後にいる家族の努力も想像するとさらに複雑に。

 しかし、自分や家族が病気のときはそんな想像力が吹っ飛んでしまうほどギリギリの精神状態になります。普段なら「先生ご無理を言って」と思うのだろうけど、そこまで発送が及ばない。それがわかっているから、医師も患者や家族を責めない。明らかに軽症の患者が「待つのがいやで」夜に受診するのとは違う心理状態だからだ。

 そういう心理状態になるからこそ。運営するシステムの方で医療を提供する側と受ける側の歩み寄りを設定しないといけない。しかし、決める側は患者が多く来たほうが儲かるかとか、自分も患者の側だといい理由で医療を提供する側の心身の健康には配慮をしない。

 医療が、継続して提供できる最も効率的な方法は「一人の医療者が、燃え尽きることなく長期間現場に立ち続ける」こと。燃え尽きないためにも、十分な休息は必須だ。長期間無理なく立ち続けることで、後進への指導もできる。

 休息時間があれば、知識をつける時間が増える。知識とは専門的なものだけではない。生活人として暮らせることで、通り一遍の指導ではなく、患者の生活に配慮した説明ができる。心身の余裕があれば、相手に配慮ができる。

 長期間観察することができれば、同じ人の経過や時代によってかわる医療の傾向をつかむことができる。指導する後進の人数が増える。

 

 人の自己犠牲を喜ぶ人は、心の中の深いところ、自分でも気づいていないところで「人の不幸を願っている」のかもしれない。自分には自己犠牲ができないから、他人のを喜んでいるのかもしれない。

 供給できる人材は有限だ。それを考えると、お互い無理をしない無理をさせないのがベターではないか。

 

 

 

 

 

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学会(学術集会)の流れ

 「学会に行きました」という報告が時折あります。

多くの人が参加したことがないと思われる学会。いったいどんなことをしているのでしょうか?

 1.シンポジウム

有名な人や実績を上げた人がそれぞれの取組から、同業の人に対し現状報告や未来への提言を行うもの

 

2.発表

自分の取り組みを発表する。

ポスターを提示し、ある一定の時間にそのポスターについて説明したり、見に来た人と意見を交換するもの→名刺を交換し、その後の交流に繋がる場合もある

 

口頭で大勢の人の前でプレゼンするもの あとで質問の時間がある

 

 他の人の取り組みをみて自分の今後の活動に活かしたり、自分で発表して他の人からヒントを貰ったりとさまざま。

 

 会場内は基本的に撮影禁止(広報を行う人は事前に許可が必要)なので、やたらと会場入り口での集合写真や、ご当地グルメの写真ばかりになる。

 

 そして、夜の学会と称した、志を同じくする仲間との飲み会。ここでのオフレコの話からも新しい取り組みが生まれることになる。

 

 ICTが進化しても、表に出せない話もあるし、人は非言語が7割。

 

 

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最後まで口から物を食べよう

 人生の最後に必要なのは、食べられることではないかと思う。

 

 80歳を超えると、薬で延命できる期間が限られてくる、と数々の文献が示す。体の機能が落ちてきて、何かしらの不調で亡くなるリスクが高くなる。薬物治療による有害事象の方が効果よりも大きくなる傾向もある。効果に差がなくても、薬による治療を続けたいと考えるのならば、それはその人の生き方だ。

 

 50代ぐらいから嚥下機能、物を飲み込む機能は落ちてくる。80代になると食べたものがうまく飲み込めず、食道に入らずに気管に入りそこから肺炎を起こすことも珍しくない。

 その状態をなんとかしても、再発することが多い。治療のたびに抗菌剤を使用すると、段々と菌が耐性を持ち、抗菌剤が効きにくくなっていく。

飲み込む機能が加齢で低下している。それを回復させるのは難しい。治療そのものもハードだ。入院してベッドに座っているだけで筋肉は落ちていく。

 そうなってくると「寿命が近い」ことを本人も周りも認識する必要がある。正直言って、ずっと共に人生を歩んでいた人とのお別れが近いことを感じることは非常につらい。

 飲み込めるようにと、ペースト状やゼリー状にした食事を食べたり、回復するかもしれないと胃ろうを入れる場合がある。これが食事の楽しみを奪ってしまう。

 好きなことをして、後悔がなるべく残らないように生きる選択肢はないか。

 

 その、嚥下の分野を担っているのが歯科だ。歯の治療だけでなく、口の中を清潔にし、口の機能を守るような訓練を行っている。高齢者宅を訪問し、そのようなケアを行っている。彼らの収入(報酬)はずっと上がっていない。それどころか下がっている。土日に開けたり夜遅くまでやったり、患者に対するサービスが過剰なまでになっている。また、歯の詰め物や入れ歯を作る歯科技工士の仕事がハードで、離職者が多いと聞く。

 

 最後までものを食べられるように支援し、「いい人生だった」と本人も周りも感じて終わらせることができる人生にするなら、彼らの報酬を上げる必要が無いか。あと、若いうちからの定期検診。痛いし、虫歯が見つかって治療になることもあるけど。

 

 嚥下機能を下げる薬も結構あるし、高齢者は結構飲んでいる(眠剤や精神を落ち着かせる薬、咳止めなど)。また、誤嚥を起こさないようにする可能性のある薬もある。保険の適応がない。薬剤師はそこに介入していける余地はたくさんある。 

 

 

 

 

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