「くすりや」の「現場」

薬屋が見た、聞いた、考えた、さまざまなことを書いていくブログ。「ブログに書いてある情報は一般的なものです。ご自身に合ったものにするにも、受診している医療機関のスタッフ、かかりつけの薬局の薬剤師に相談しましょう。」正論でぶっ叩かない医療者に!

技術にお金を払う

 先日、我が家のガス機器が故障した。

日曜日の深夜ということで、これどうしたことかとガス会社に電話したところ、当日中の修理となった。その時点で、出張料と技術料が休日料金で3割増になりますがよろしいですかというお伺いがあった。もちろん、そんな誰もが休みたい日曜日に働いているのだから拒否する理由もない。了承した。

 朝になってメンテナンス業者より電話が入った。修理の時間をもう少し早めてもいいですか、というものだった。多分業者の都合だと思われるが、早く直るのに越したことはないのでお願いした。

 業者の方が来た。手早い作業で修理箇所を見つけ、ぱぱっと直していった。

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 明朗会計。部品の費用よりも技術料のほうが高い。当たり前だ。

どこの故障なのか見極め

正確に部品を取り付け

直ったかどうか確認する

これだけの技術を身に付けていることこそ価値がある。さらに言えば、修理体制を作っておくための費用もしっかり基本料として請求している。

 

 薬剤師もそうだ。部品である薬を取り揃えるよりも、

 その部品が正常に使える使用量かどうか見極め

 ユーザーが使用しやすいように工夫し

 継続したサポートができるように使用方法やその背景についてのやりとりを記録し、

薬品を供給できる施設としての体制を作る

方が遥かに手間がかかる。薬局という建物がなければ、医療用医薬品を購入することはできない(本人確認の代わりとなる)買った医薬品を全部使い切るとは限らない。(100錠包装の薬を買って、14錠しか使わないなんてことはザラだ。それだと完全に医薬品として赤字だ。)

 そういう技術を評価し、適当な対価を支払うことを自然と行える人が大多数になることを願ってる。

 

 

 余談

後日、メンテナンス業者よりその後の様子のお伺いの手紙が届いた。こちらは返事しなくていいらしい。まあ、故障はあれば再度連絡するのだけれども。これぐらいのフォローも薬局としてはあってもいい。

 

 しかし、メンテナンス業者の方

 宛名に書いた名字が間違っているんですが・・・・

 

 

 

 

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入学しても卒業できるとは限らない

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写真と本文はほんとうに一切関係ありません。

 

文部科学省が出した、薬学部入学者の修学状況についての資料です。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2016/09/28/1361519_1.pdf

 これには、平成22年度から24年度までの学生がどのような修学状況か大学ごとに書かれています。

 平成22年入学生 5年次進学率、実習修了率、卒業率

 平成23年入学生 5年次進学率、実習修了率

 平成24年入学生 5年次進学率

 

大学の設置母体ごとで見事に分かれました。

 一括募集で、入学後に進路を決められる大学はこの表ではデータがでません。

 

 国公立の場合は進学率9割前後がほとんどです。薬学部に限らず、途中で進路変更をすることはありますので、問題となる数字ではないでしょう。もともと定員が少ないので、5年に進学しなかったり、ストレートで卒業していない人数は片手で数えられるほど、少ないところでは「全員5年に進級できた(京都大学 平成22,23,24年度、広島大学と九州大学の平成24年度)」という例もあります。入ったらほぼ卒業できる(できない場合は本人の学業不振)と思っていいでしょう。しかも、国家試験もほぼ合格しています。

 

 私立大学はいろいろです。

 そもそも入試の時点で入学定員を半分以上満たしていない大学

 (あまりに定員を満たさないので募集人員を減らした大学もある)

 5年次進学時点で半分が進級できていない

 実習は修了できても2-3割は卒業はできてない

 (5年に上がれたけど実習を終了できなかったという学生はどこの大学もあまりいません)

 卒業はしたけど半分ぐらい国家試験を受けていない

 6年ストレートで上がれて、国家試験を受けたのは入学時の1/4程度の人数

 卒業生の殆どが過年度入学生で、入学年度を遡るほどその人数が増える(しかし国家試験を受けていないものが多く存在する)

 

 というところもあります。

(そういう事例は特定の大学に集中しています)

 

 地域によって薬学部の数が偏っているのと、上記の私立大学のような大学を減らしたほうがいいのではないかと考えます。

 

 誰も彼も大学に行く必要はないですし、形だけ大学に行かせたのがミエミエの大学だとそもそも企業も採用しないですし、形だけ大学に行かせるため一千万円払って奨学金という名前のローンを背負わせるのはどうかと考えます。

 

 

 

 

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副作用の情報を提供するのは非常に難しい

www.sankei.com

 

 患者側は副作用の情報を提供してほしいという声が多い(53%)一方、実際に提供されたのは31%と少数とのこと。インターネットによる男女2000名アンケートによる(日本製薬工業協会)

 

 「副作用を説明したら患者さんが薬を飲まなくなるからやめて」と医師にクレームを受けたことのある薬剤師は結構多いと思う。(実際これが元で薬剤師が移動になったり首になったり薬局が取り潰されるケースも無きにしもあらず)

 

 まず、医師が処方する際に患者の様子(本人が意識していないところまで含む)を見て、治療方針を決める。この場合、「治療した場合の利益が不利益を上回るかどうか」を検討している。医師が利益が上回ると判断した上で処方されている(これが診断で、医師にしかそれはできない)ので、それを中止すると患者にとって不利益なことが起こる可能性が高い。

 

 患者から見れば自分の意思が入っていないように思えるのかもしれない。自分の身に起こる不利益はなるべく、いや絶対避けたい。ゆえに、怖いことがあるのならばそれを回避したいと思うのは自然だ。

 

 この医療者が相対的リスクで考えているのに対し、患者が絶対的リスクで考えていることでズレが生じていることが、医療不信につながっているのかもしれない。

 

 もし、副作用が起こるから飲まないということであれば、飲まないで起こりうることを説明し、「最悪の状況を避けるためによりマシなつらいことを選んでいる」という認識にできればいいのかもしれない。

 

 しかし、感覚的なよくない作用はそのよくないことを説明すると起こりやすくなるのだそうな。それがノセボ効果だ。それもあって、良くない作用、特に「痛み」「かゆみ」といった数値で表せないものについては説明しない場合がある。安全に治療をすすめるため。

 

 だが、敢えて説明しないのは果たして倫理的に正しいのだろうか。それで訴えられたりはしないのだろうか。非常に難しい問題である。どの正しさを選べば落ち着くべきところに落ち着くのか。

 

 そのためには、医療者と患者がゆっくり対話する必要がある。どこまでの治療に耐えられるのか。感情優先なのか論理を理解できるのか、その割合。どんな価値観を持つのか。そのような要素を多く必要とする患者の状態と、そうでないものを分ける必要もある。

 

 価値観に基づいた治療と、命を守る治療。そんなものはどうでもいいから早くしろというのも価値観による治療だ。医療者も患者も、自分の価値観を持って、必要なときにはそれを表明するのが治療に必要な時代になってきた。たとえ、自分で意思を表明する習慣がなかった場合でも。

 場面によって、命を守らなければならない場合は患者の価値観は後回しになることもあるが。それを判断するのは人だ。

 

 そう考えると、医療は人でしかできない部分がまだまだ大きい。

 

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医療系ブログの信頼性を上げるには

 医療系キュレーションサイトのおかげで、ネットで提供される医療情報に悪い印象を持たれがちです。

 真摯に正しい情報を提供しようとする人たちの苦労が水の泡です。

 ブログやSNSなどで医療情報を提供しようとすると、「そんなことをしている暇があれば、一人でも多くの患者をみろ(職種によって漢字が変わるので敢えてひらがなにしています)」という人もいます。

 医療従事者がネットで情報を伝えるのも、良い医療を提供するためです。直接対面していない人も、将来的に患者さんとして対面するかもしれませんし、他の医療者の世話になるかもしれません。多くの人たちにまっとうな情報を与え、良い医療を提供する。

 病気になっていない人への啓蒙として、また、病気になって病院に連絡するか迷っている人にヒントを与え(時には病院に行くことに対する不安を解消する)、医療にアクセスする際のマナーだったり覚悟を教える。そういう役割は医療者が対面するだけではさばききれません。広く情報を与えることには限界があります。医療を題材とするジャーナリストだけでは数が足りませんし、知識があり、一定の研鑽を積んだ者の言葉は重いです。 

 

 それでも、一部の人は信頼性の低い情報を提供して自らの商売につなげようとしています。そういう心のないサイトは叩かれても叩かれても雨後の筍のように出現します。倫理観が決定的に欠ける人はこの世には存在します。そういう人に反省させるのは難しいです。間違った医療情報が元で人生を無茶苦茶にされる人は後を絶ちません。

 

 医療従事者の活動が、ネットにまっとうな医療情報を増やし、悪い情報を隠してしまうのが妥当なのではないかと考えます。

 

 そのために必要なのは

 引用、参考にしたものを明確にする(論文紹介サイトは読んでいる論文を紹介するので、このあたりで信頼を得やすい)

 症例報告は患者さんの個人を特定される可能性があるので慎重に行う

 匿名か実名かはあまり関係しない

と考えます。

 

 

 

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信頼性のある医療サイト+専門家の意見で個別の事案に対処する

 医療系のキュレーションサイトに掲載された「真偽の定かでない情報」「著作権を無断で侵害している情報」が問題になりました。

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 人の「病気を直したい」「健康になりたい」「安心したい」という自然な欲求につけこんだ商売は決して許せるものではありません。

 しかし、まっとうな医療情報を公の場で伝えるのは非常に難しいです。

 受け手が不特定多数であるため

 →誰にでもわかる文書にしないといけない

 →しかし、誰が受け手なのかわからない

 →誠実に対応しようとすると、一般的な説明にとどまってしまう

  なぜか文体が説教臭くなるのも特徴です。

 →ゆえに、人の心を取り込んで商売しようとする悪徳サイトに伝達力で負けてしまう

公の学会や機関、医療者の団体、公的な病院のサイトの情報はまっとうなものですが、

レイアウトが見づらいのとどうしても一般論になってしまうので、検索しても上位に出てきづらいです。もし、ネットに詳しい方がいらっしゃれば、検索上位に入る工夫をしてくださると助かります。

 

見やすいレイアウト

だれにでも読める文体(小学生向け文体ぐらいでちょうどいいものもあります。疾患で長時間文章が読めない方もいます。血長い修飾語も読みにくくします。)

一つの文章は短く

専門用語を使いすぎない

このような工夫ができれば検索上位に入るのではないでしょうか?

 

 「ネットに医療情報を掲載するのは禁止だ!」と多くの医療者が訴えたとしても。それが叶うことはないでしょう。基本的に情報伝達には自由がありますし、受け手の一般国民が医療者の言うことを聞くかと言えば聞かない場合もあるでしょう。

 むしろ、ネットに医療情報を載せるのが禁止され、医療者の言うことを聞かなければいけなくなれば、逆に医療者の言うことを信用しなくなるのではないでしょうか。「強制される」という思いがこういったサイトを生み出したという一端もあります。「医療者の言うことを聞け!」という傲慢さがなかったか、自分を含めて反省するところでもあります。

 

 キュレーションサイトがなくても口コミやトンデモ本があります。自由だからといって嘘を宣伝してはなりません。

 「インターネットには欲しい情報はなかった」

 キュレーションサイトを運営していた会社の経営者が自らの家族の医療情報をネットで得ようとして適した情報がなかったと話していました。不特定多数に伝える情報には個別の対応は無理です。

 

 では、一般の国民はどのように利用すればいいのでしょうか?

 一般的な情報をまっとうなサイトで集め、個別の対応を医療者に尋ねる

のが妥当なところではないでしょうか?

 個別の対応を尋ねる医療者は、自分の健康情報を一番よく知っていて、会話の相性のいい人がふさわしいと考えます。口コミ同様、「何を聞いたか」よりも「誰から聞いたか」の方が重視されがちですが、知識があればその「何を聞いたか」も相手の心に響かせることができるでしょう。

  

 まっとうなサイトの探し方

 google検索の場合

「site:」を検索対象のドメインの前につける

 これだけです。

ドメインによってわかる組織の種類です。

go.jp → 政府の機関、省庁、独立行政法人

ac.jp→ 大学、大学校、学校法人

or.jp→ 財団法人、社団法人、医療法人、監査法人、宗教法人、 特定非営利活動法人、独立行政法人、特殊法人(特殊会社を除く)、 農業協同組合、生活協同組合、企業組合や国際公的機関

ed.jp → 保育所から高校までの18歳以下を対象とする学校

参考・引用元

ドメイン名の種類 - JPNIC

 

 

 

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地域を望まない人達もいる

 地域に根ざすことを望まれる薬局であるが、そもそも国民が地域に根ざした暮らしをしたいかどうか?

 

 今の企業形態の薬局もいいことはある。スタッフが仕事でしかつながりがないことだ。どういう企業であっても、人がふたり以上いれば揉め事が起こりうる。企業であり、もともとその地域に住んでいない場合は、仕事でしかその地域とつながりがない。どんな合わない人(同僚だったり顧客だったりさまざま)でも仕事の時だけだと思うと大抵の場合は冷静さを失わずにいられる。

 それが、地域に住んでいる同士だと、仕事以外にも接点があることが多い。

そうなると、職場で揉めるとその地域でも暮らしにくくなったり、地域で揉めて一緒に働けなくなるなど揉める要素が増える。揉める原因で多いのは「PTA」「子供会」「町内会」「子供の進路」ですね。

 そういうのを避けるために、敢えて自分自身は地域に根付かないようにしている人もいるのではないだろうか。

 勤務者にかぎらず、客の側も地域に根ざさず自分にとって快適な人たちの中でのみ生きたい人が多いのではないか。大抵の人は過剰に気にしすぎているとは思うけど。

 参加しようにも朝早く出勤して夜遅くまで働いている(休日は自身の家事があったり仕事の場合もある)のでそもそも自宅のある地域にほとんどいない場合や、家にいるけど家庭の事情で地域行事に参加する時間がない人が非常に多く、大多数ではないかと考えられる。

 もしくは、地域のシステムがある特定の人達だけに有利に働いているからそれ以外の人が参加できないようになっている場合もある。地方のしきたりだけではない。東京や大阪の議会でもそういう傾向がある。それを打破するべくダイナミックな改革というスローガンで登場した人がいるが、その人達が得するシステムを作ろうとしているのも否めない。

 いずれにせよ、自分の得するようにというバイアスがかかってしまうのは意識しないといけない。

 話がそれた。

 行政の人も地域に住まう人も自分にとって快適な環境で暮らすために、人と人との距離を置く人が少数派ではないということを認識したほうがいいのではないかと思う。人との適切な距離はそれぞれ違う。行政の場合は自分たちの仕事がパンクしているから地域の人にお願いしている部分もあると思う。

 今は若いから自分ひとりで何かできても、年老いたらできなくなることがある。そのことがもとでさまざまなことで迷惑をかけることがあるから、地域に参加しておいたほうが得だ(身寄りがなく、いろいろな事情で行方不明になった場合、行方不明になったことが知らされないまま数年経過することもあり、これは多くの税金を使うことになる)ということをわかりやすく説明した資料を作ってもいい。

 制約があって参加できない人にも参加できる方法を作るのもいい。

 

それでも、地域に根ざすことを望まない人が多いのなら仕方ないのかもしれない。

 

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なぜ論文を読むのか

 

 最近、そこかしこで「論文を読みましょう」と言われる。

論文が読めるようになったら薬剤師として一歩前に進める、とか

論文ぐらい読めないと薬剤師としてやっていけない、という意見をSNSで見る。

 

 その物言いは違うんじゃないか?

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 論文を読むのは良いことだが、同業種同士で上か下か比較している言動をする(ましてやSNSという何も知らない他人も見るであろう場所に)のもよろしくないが、そういう言動が元で、論文を読む仲間を減らしてしまうのではないかと思う。自分の考えが正しいのであれば、論文を読む意味や楽しさ、それがどう役立つのかを他人に伝わる言葉で説明したほうが得策だ。論文の数は非常に多いのだから。

 仲間が増える。

 →わざわざ自分が読まなくても良い論文が増える。

 (他人が解説したものを読めばいいので:もちろん、時間があったり興味が深けれ ば原著論文を読めばいい)

 

 論文を読むのは、それぞれの治療目標に到達するための、より妥当な方法を見つけ出すための手段だと考える。

 

 治療の中には「患者の背景や価値観に左右されない治療目標」と「患者の価値観が左右される治療目標」が存在する。例えば、風邪の治療だと「症状が治まる」というのが目標だが、糖尿病だと患者の状況によって「合併症を出さない」「完全にコントロールする」と目標が変わってくる。(高齢の方だと、薬を飲むことのリスクが上回る可能性が高くなるので、それも考慮しないといけない。治療のために入院したり安静にすることもその後の生活レベルを大きく左右する。寿命も考慮する。)

 

 患者の背景や価値観を聞いた上で、治療方法を見つけ出す。その治療方法が本当に妥当なのか検討する。そのために、最も信頼性のある根拠を挙げるのが妥当であろう。今までの自身の経験が頼りと考える医療者もいるが、最新の治療も入ってくるし、その医療者にとって初めての治療かもしれない。そして、もし裁判になった場合に経験則だった場合に勝てるだろうか。第三者が判定する場合に妥当な治療であったと認定できたほうが医療者は自身の身を守れる。

 

 患者との感情的な信頼関係と根拠ある知識、双方大事だ。車の両輪と言っていい。

 

補足

論文を読んで解説するブログが続々出てきました。これらのポータルがあればもっと探しやすくなりますね。

 

 

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