今回は、「科学が私を傷つける」というタイトルにしました。要は「自分の専門外のこと、自分が理解できないことをあっさり理解し、自由にその知識を使いこなす人間に対する嫉妬について書きたいと思います。
専門家の間では「今の所最も確からしい事柄」とされることと逆のことを主張して民衆の支持を得ようとする人(時々専門家がその立場になることがある)がいます。しかし、論理の立て方が一般的なものと違ったり、根拠の出どころがはっきりしなかったりと、専門家の指摘で一発で吹き飛んでしまう論理展開のことが多いです。
しかし、このような論理展開をしている非専門家に対し、専門家が指摘するのは難しいものがあります。専門家であれば、専門用語を使い、専門的知識を用いて指摘すれば済みます。気をつけるのは人格攻撃をしないことだけです。ただし、これが通じるのは専門家同士でのあまり公開ではない場(学会発表など)までです。
これがSNSの場ではどうでしょう。その議論を見ている人は専門家であるとは限りません。一般の人もいます。「〇〇さんがかわいそう」と感じる可能性は十分にあります。
訂正する場合は、傍観者に向けての情報発信に重きを置くといいでしょう。感情に飲まれている人は、自分の信じたい情報しか受け入れる余裕がありません。それよりも、傍観者に「信頼できる情報を発信している」という認識を持ってもらうのです。落ち着けば、いま感情にとらわれている人も聞く耳を持つかもしれませんし、その人が信頼を寄せる人からの情報で、確かな医療情報にたどり着けるかもしれません。
世の中の幾ばくかの人は、科学と科学のしくみが理解できないとされているようです。自分がわからないものに対し、「ああすごいこと言うてんな」と思えばいいのですが、自分ができないことをできる人に対して「マウント取られてる」と思う人も少なからずいます。
これが、いわゆる高学歴の人にもいます。自分の所属する仲間内の中で科学が苦手な場合や、「自分は勉強ができる、賢い」がアイデンティティだった人が進学で同じような集団に入ってそのプライドを打ち砕かれた場合に見られるようです。
さらに言えば、科学的な思考の仕組みを受け入れることができない人もいます。気持ちの上で受け入れることができない。
そういう人にとっては、逆張りの人はヒーローになりえます。いけすかん「かしこ」の鼻をへし折るのが目的だと、「権力に逆らうヒーロー」への支持が集まります。
これも、「かしこ」の人が、正確な情報発信に重きをおいた結果、受け取る側の感情に配慮した文面するのを二の次にしすぎたのが原因と思います。
科学を理解できない、受け入れることができない人を排除しない、しかし、間違ったことを書かないというのは非常に難しいことですが、実行しないといけないことと認識しました。
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